2017年8月

何かが始まる時

 



 7月にダウン症協会の案内で、モンゴルの医療関係者、教育関係者、通訳の4名がほっぷ・すてっぷを訪れた。ウランバートルに児童発達支援を開設するための視察ツアーのようだ。そのどなたもご存知なかったが、実は「ナナの家」はモンゴルとの絆が深い。こどもデイサービスすてっぷはモンゴルの草原をイメージして作られ、うす緑色の壁には何頭かの馬が描かれている。毎年のように来日するモンゴル人とはモンゴルの踊りや食べ物を楽しむ。子どもたちはゲルや馬頭琴も知っている。
 長女の話では、モンゴルの草原では、冬の星座と夏の星座が一度に見られ、澄み切った空からたくさんの星が降ってくる。草原を群れを成して走る馬たちの爽快さ。人の影はどこまでも長く伸びていく。この頃の私の小さな楽しみは、夜少し涼しくなった夜更けに、犬たちを遊ばせること。ここ3日間は毎晩夜空に満月が見られた。目を閉じると、長女が持ち帰った写真で見た、モンゴルの草原や風を感じる。
 しかしそのモンゴルでは、まだまだ福祉は遅れている。児童発達支援の施設も自腹で建てるしかなく、療法士も日本のように国家資格は得られていない。とはいえ、日本でも息子が子どもの頃には今の制度はなく、言語療法士も国家資格は得られていなかった。志を持つ人たちの力で、何かが始まるのだ。
 私たちはもうすぐモンゴルの福祉の扉が開かれていくように、偶然障がい者乗馬の幕開けと遭遇した。それは次のような経緯からだった。
 ①動物好きな長女が中学1年生の時、ムツゴロウの乗馬教室に参加。障がい者を乗せる馬と出会い、3歳  年下の弟に乗馬をさせたいと願う。弟は車椅子のため、いつもストレスをためていたため。
 ②母は長男の難病の無痛無汗症の会を設立するため、世界の文献を知り合いに集めてもらい、翻訳者を  探していた。出会ったグループの次の仕事が、アン王女を総裁とするイギリスの障害者乗馬の中心   の、ダイアモンドセンターのテキストだった。
 ③イギリスの障害者乗馬(Riding for the Disabled Association)について調べ始める。イギリス、  オーストラリア、ニュージーランドの乗馬センターを見学する。ドイツやアメリカの 障害者乗馬の  情報も集める。
 ④日本にイギリスの流れを組む、障害者乗馬インストラクター1号が誕生する。
 ⑤祖母がスポンサーになり、高校1年生の長女をイギリスに行かせる。1か月かけて、障害者乗馬セン   ターや乗馬を授業に取り入れている養護学校を見学する。
 ⑥長男が膀胱破裂で危険な状態に陥る。
 ⑦テレビ朝日が日本で初めて企画した難病番組へ、長男が出演しないかと誘われる。長い間マスコミは  避けてきたが、多くの人に息子の無痛無汗症を知ってもらい、患者の危険を回避するためならばと承  諾する。テレビ局に「3つの願いを叶えてあげる」と言われ、その一つに“乗馬”をあげた。
 ⑧障害者乗馬インストラクター1号の指導で、長男の乗馬の様子などが番組で放映される。
 ⑨撮影にお願いした馬場の一つの目黒区碑文谷公園では、息子があまりに喜ぶ様子から、従来の健常児  用とは別に、障害児用の馬場を作ることになった。そこに各地から同じ思いの団体や個人が集まり、 「さわやかポニークラブ」という連絡会が誕生した。
 ⑩その連絡会から、RDA Japan を名乗る団体が生まれ、全体をリードしていった。日本の障害者乗馬は  またたく間に広まっていった。
 ⑪長女は大学で馬術部に入り、オーストラリアで障害者乗馬インストラクターの資格を取得した。
 ⑫「ナナの家」では独自にRDA方式の多摩川乗馬会を行うことにし、この秋77回目を迎える。
モンゴルの方々の熱い思いに触れたことで、日本の障害者乗馬、私たちの多摩川乗馬会も、始まりはこんな風だったと思い出された。私たちの課題は、次の一歩を考えることだろう。           


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