2017年4月

もう一人の自分

 生きていると、心がざわめくことに何度も出会う。私たちが願うことは、そのほとんどが叶わない。そんな時は、どうしたら良いのだろうか?
 私の心がつい最近ざわめいたのは、息子のこと。息子は無痛無汗症という難病をもち、それから派生して、知的障がい、肢体不自由、てんかん、自律神経失調症他、いろいろな不自由さが生じている。中でもむずかしいのが、無痛のため痛くても動けてしまうこと。それに対する学習能力が不十分なこと。本人にとって辛いのは、無汗から生じる外気温や湿度の変化への不適応。そんな息子は2月14日に骨髄炎で地域の病院へ入院した。入院に際しては、形成外科、整形外科、総合診療部、感染症科と関わった。整形外科の医師は、息子こそこの病院が次にあてはまるケースだから、他の病院へ転院するようにと強く迫った。それはどういうことかと言うと、初め「一生診療」をうたっていた国立病院が独立法人に移行し、昨年の3月に一生診療は実現困難であり、「ずっと診て行きます」から「最もよい診療をともに考え、他の医療機関への紹介・連携を含めて医療の選択肢を提供します」に変わります、という内容を発表したことだ。厚生労働省のモデル事業として移行を支援し、成人にふさわしく診療を受けるための「トランジション(移行)外来」も備えるとあった。 
 骨髄炎の治療は点滴から服薬へ変わり、3月3日に退院。しかし4日から少しずつ全身的な体調不良に。7日に再び病院の救急外来へ。腸炎による敗血症、肺炎、脱水症などを起こし、炎症反応も28(普通0)、白血球も16000(普通8000)と高く、ICUでの治療が必要だが、病院では方針が変わり成人にICUは使えなくなったと説明された。救急外来の医師たちは、一刻も早く搬送が必要と、受け入れ先探しが始まった。ようやく決まった都内の病院へは、救急車に医師2人と職員が同乗し、私は入院支度をして後を追った。搬送先では命こそ助かったが、難病への理解や息子の心のケアはむずかしかった。胴体と両手両足を拘束され、苦手な酸素マスクと鼻のチューブをされたため、私は舌を噛み切るのではないかと不安で、付き添いのできる個室をお願いしたが叶わなかった。結局ICUには入らず救急科に4日間入院し救急車で元の病院へ。幼い頃から通い続けた病院は本人への寄り添い方がていねいで、息子は体と共に心も回復していくようだった。3月22日に退院。発表されたトランジション医療の概念図の【主体】の欄には、成人は自律を目指すが、一部の疾患・患者に限っては保護的支援(親・医療関係者等による)が必要で、主体はいつも本人、と書かれている。【医療の担い手】の欄には、小児医療から成人医療に移行するが、一部の疾患・患者に限ってはオーバーラップすることが図で示されている。これらに該当すると思われる、標準ではくくれないケースは十分に吟味されているのだろうか?今後、知的障がいのある難病患者を受け入れる成人科の医療関係者は育成されていくのだろうか?移行はすぐにと迫られるのではなく、準備が整ってからではないのだろうか?
 「ナナの家」グループが取り組むヨーガ療法では、心を客観視することを学んでいる。まだ初心者で生半可な理解に違いないが、私はこう受け止めている。自分の心のざわめきを、もう一人の自分が一つ一つ静かに見つめる。そうして自分を客観視することで、肉体や感情や記憶など、自分を形どるものを通り抜け、核たる本当の自分に辿り着く。それは自分を取り巻くできごとを、正しく受容すること、心が開放されて自由になることとつながっていく。息子をめぐる問題とも、心ある方々と協力しながら、心静かに正しいところへと向かっていきたい。

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