2016年11月

「縦割り」から「丸ごと」へ

  今年8月に狛江市社会福祉協議会による、“きょうだい”Café~語り合おう 障がいをもつきょうだいのこと~が開催された。行けなかったので、参加した人から様子を聞いてみた。“きょうだい”Caféは20代の男女4人がメンバー。知的障がい児者をきょうだいに持っているのが共通点。きょうだいのことを友達に話せなかったり、しっかりしなくちゃと強がったり、親が死んだらどうしよう…と悩んだり。そんな人たちがいるところに行っては、お茶を飲みながら心の内を共有する。この日も予定された2時間があっという間に過ぎてしまったということだった。
 私は大勢の人の中で育ったため、家族も大勢がいいと無意識に思っていた。長女はとても小さく生まれ、哺乳も食べることも大変だった。人は大変な中に置かれると、そこで可能な楽しいことを考える。そうだ、きょうだいを作ってやろう!と、まずは夫の好きな猫を飼うことにした。長女のお昼寝の時には、掛布団から小さな頭が二つ出て並んでいる。それだけでも、まるで人間のきょうだいのようだった。
 三年経って長男が生まれた。仮死状態で生まれ、1歳半の時脳波に発達異常が見つかった。急な異変で私が付き添って入院することも多かった。退院して玄関で出迎える長女はいつも笑顔。つい私は「いい子でお留守番出来て偉かったね!」などと言ってしまった。ところがある日、娘の日記を見つけ、こっそり読んでみて驚いた。そこには弟と私が突然いなくなり、毎晩泣き寝入りしていたこと、淋しかったこと、それでも一番辛いのは弟なんだ…と、何ページにもわたって書き込まれていた。そこで私は思った。一緒に支え合える人間のきょうだいも必要なんだ!
 しかし周りは夫も両親もご近所さんまでもみんな反対した。まだ長男の障がいがわかっていないこともあった。私は生理が止まり、想像妊娠するほど三人目の子が欲しかった。そんな中、保健所長と保健師さんがきょうだいがいることは良いことだと賛成してくれた。そこからようやく夫を説得し、それから三年して三人目の次男を授かった。生まれてみると、周りはみんな祝福してくれた。
 特に長男は弟の誕生をとっても喜び、まるで宝物のように大切にした。弟の大好きなバスタオルを引っ張って、ここまでおいでと、ハイハイを促したりもしていた。そんなお兄ちゃんぶりは短い間のことだったが、宝物であることは今でも少しも変わっていない。
 長女が8歳、次男が2歳の頃、長男が私を痣が出来る程強く噛んだ。痛みが走る。これを繰り返しては大変と、一回だけ厳しく叱った。するときょうだい二人は子どもながらの精一杯の方法で、私に抗議し長男をかばった。忘れもしない次男の言葉。「うちょこでちかってるんでちょ!」。
障がいのある子にきょうだいが必要かどうかなど、私にはわからない。何人子どもが欲しいのか、何番目に障がい児が生まれたか、障がいの内容はどんなか、近くに支援者はいるか…など、ケースは実にいろいろだ。きょうだい全員が障がい児の家庭だってある。我が家でも三番目の出産の後、長男が無痛無汗症という難病を持ち、そこから知的障害と身体障害が生じたことがわかってきた。うちはたまたまこんな家族構成になったのだが、言えることがあるとすれば、障がい児がいても、きょうだいをあきらめない選択肢はある、ということくらいだろう。
 17年前夫を事故で亡くした時は、初めて長男からきょうだいを遠ざけなければと思った。長男を社会がみるシステムを作れないと、家族介護に後戻りしてしまう。私は腹をくくり、彼らを当てにしないで、頼りにすることに決めた。きょうだいの強味は、一体化しがちな母と子の関係とは異なり、横並びのような距離感があることだ。きょうだいが感じるいろいろな悩みを、心の中から外へと言葉にし、似た悩みを持つ人との共有から、一般の人との共有へと広げていく。今回の“きょうだい”Caféのような試みから、社会は変わっていくのかもしれない。

ウィンドウを閉じる