2016年8月

犬のマット

  三匹の犬たちをトリミングに出した。帰宅した後、雄犬のルーカスの様子がおかしい。ずっと立ったままで不満げに鼻を鳴らしている。トリミングで緊張すると腸をこわすので、朝ご飯を抜いた。それで空腹なのか?散歩を早めてエサをやる。でも原因はこれではない。洗ったマットが乾かないので、それが不満なのか?でもスタンダードプードルは毛がふさふさ。しかも暑がりの雄なので、マットに乗った姿は今まで一度も見たことがない。代わりにバスタオルをやる。しばらくそれで遊ぶ。ちょっと原因に近づいたか?それでも30分もするとまた鼻を鳴らす。夕方ようやくマットが乾いたので、彼のプレイルームに投げ入れた。するとぐちゃぐちゃにしたマットに乗って心地よさそうにした。翌朝いつものように隅にきちんと敷いてやると、もうそのマットに無関心の様子で、元のルーカスに戻っていた。用無しに見えたマットの存在が、実は彼には意味があったのだ。
 「ナナの家」では、障がい児が地域で幸せに暮らしていくための支援を目的に活動している。でも“幸せ”は目に見えない。平和、自由、平等、経済力、衣食住、健康…など、条件になるものはあっても、それが絶対ではない。理解する、信頼する、役に立つ、大切にする、愛する…。そしてその反対の、理解される、信頼される、役立たれる、大切にされる、愛される…。そんな目に見えない心の在り様、ルーカスの安心感からくる心地よさのようなものが積み重なって、幸せにつながっていくのではないだろうか?
 私は背中や腰が痛くなると、整体に行って矯正してもらう。背骨は姿勢が悪いと変な位置に動いてしまい、正しい位置でないと悪さするらしい。そう言えばインドのヨガを行う人が、ずっと前に歩いたら時々後ろに、ずっと真っ直ぐ立っていたら時々逆立ち、ずっと食べていたら時々絶食、と言っていた。身体はそうケアするとして、心のケアはいったいどうするんだろう?
 先の第10回研修会「支援の中身を問い続ける」は、翌日になっても心地よい余韻が続いた。講師の本庄一聖さんは、障がい者のノーマル(あたり前)が、一般からどんなにかけ離れた稀有なものかを知った上で、いつ通じるかしれない相手と、いつか通じ合うことを信じて支援していくという意味、関わり続けていくという意味を話して下さった。話題は、職員同士の関わり、家族との関わり、リーダー層の責任などにも広がり、多くの課題が投げかけられたのに、何故か私の心は正しい位置に納まって心地よかった。きっと本庄さんの人を信じる心が為す業だろう。これを維持するための心のケアは…。まず一日一回立ち留まってWhat?Why?と自分に問いかけ、信念をもってものごとと向き合ってみよう。そして柔らかい心で丁寧に人や生き物と関わっていこう。
 「ナナの家」の研修は、設立当時は福祉先進国や発展途上国を訪れて、幸福について模索していた。前者は障害者乗馬を切り口に、後者はマザー・テレサの映画で知られる千葉茂樹監督の協力を得て。幸福度の高さで知られるブータンからも学んだ。次には、通所生のお父さんの発言に端を発し、学芸大学の小笠原恵先生の行動問題の連続研修会を行った。お母さんたちも事例発表に加わり、行動の観察と情報の共有の大切さを学んだ。今は内部研修に移行している。そしてこの四年間は、赤塚光子先生の豊かな人間関係を頼みに、連続研修会「障がいのある子どもの立場に立った理解と支援を考える」と取り組んできた。今回で自主研修会を終えるため、言葉では言いつくせないほど感慨深い。ここ10回の研修会では、支援の視点、制度の理解、子どもたちを魅了するプログラム作りなど、多くを学んだ。赤塚先生と講師の方々、応援して下さった方々、中でも長い間助成して下さった日本社会福祉弘済会に感謝!私たちはこれらの研修を糧に、自分たちも幸せの意味を知り、子どもたちが地域で幸せに育っていくように、これからも力を注いでいきたい。


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