2016年4月

あったかい余韻

  何か心があったかいものに包まれている感じがする。
 昨日は第70回多摩川乗馬会が開催され、狛江市を支える方々が大勢お祝いにかけつけて下さった。多摩川乗馬会ではいろんな人との出会いが生まれる。その中に、かつて私に大きなわだかまりを残した人がいた。それはまだ重複障がいの発想が乏しい時代で、障がいのある息子が小学4年生の時のこと。知的障がいの養護学校(現特別支援学校)に通う中で、息子は骨折して車椅子に乗っていた。すると保護者会の席上で突然転校を言い渡され、そこから発した転校問題の中でのことだ。善後策を話し合う会合への参加を周囲に呼び掛けたところ、その人も参加した。当時障がい児の教育は、みんな一緒を目指す流れと、障がい児には別に手厚い教育を目指す流れがあった。会合の主導者となったのは、元小学校の校長先生で前者の立場。昨日再会した人は後者の立場。いずれ一緒に運動していくのは無理と思いながらも、ことは進んでいった。息子は10か月の時を経て、教育委員会の判断で東京都の養護学校から狛江市の特殊学級(現特別支援学級)に転校できることになった。でも大詰めの段階で、その人はいろんな事情から、今後応援はできなくなったと自宅まで伝えに来た。そのため予定されていた教員加配がなくなったりもした。そうしないとその人の仕事に大きな支障が生じるとわかっていても、私には何とも言えないわだかまりが残った。
 その人が昨日多摩川の河川敷で、24年ぶりに私に握手を求め、無痛無汗症の息子を抱えて頑張ってきたことをねぎらってくれた。まさかあの時のことを忘れた訳ではないだろうに…。でも、その人もずっと気になっていたのかもしれない。そう思えた途端、体の中からすーっとわだかまりが消えていった。この感じ、以前にも味わったことがある。
 それは息子が高校生の時のこと。高い炎症反応があったため、悪化箇所を探すために開腹手術が行われた。その後のガーゼ交換で、腹水を体の外に出すための安全ピン付きのドレーン(管)が誤って体内に入ってしまった。その上ピンがはずれて体を刺していた。ちょうど本格的に乗馬を始めた頃だった。体調不良のため8回病院を受診しても埒があかず、とうとう38度の発熱。9回目の受診には検査項目一覧表を作り、検査してくれるまで帰らないと主治医に訴えた。許可されてまっすぐに行ったのはレントゲン室。しっかりV字型のピンが映って開腹手術へ。数年後に開かれた無痛無汗症の国際シンポジウムで、後から赴任した外科医がこの病気の困難さを説明するために、そのことを発表した。私はとっても驚いた。すると主治医が観客席から、「こういう病気では、特に親御さんの話には耳を傾けないとならない。」といった内容を発言した。それを聞いて、長い間つかえていたものが流れていった。そして何日も、心にあったかい余韻が残った。
 息子が毎日欠かさず見る録画に、小田和正さんのライフワークとも言える「クリスマスの約束」がある。音楽の世界にもいろいろあるようだが、小田さんはかつて敵対した人の曲も含め、すぐれた曲を選んで賛同者で歌いつないでいく。「私の曲を小田さんが歌ってくれる時代が来たんですね…。」というメッセージを紹介しながら。小田さんは、音楽を愛する人同士が、互いに尊重し合う関係を目指しているのだ。
 私も子どもたちのために、違いを乗り越え、尊重し合い、あったかい心に包まれて生きていきたいと思う。



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