2016年3月

みんな違って面白い社会へ

  先日「ナナの家」のミーティングで、NHKの「戦後史証言6、障害者福祉~共に暮らせる社会を求めて~」を見た。これは脳性麻痺の人たちの「青い芝の会」と、医療ケアが必要な人たちの「重症心身障害児(者)を守る会」を二つの軸に、戦後の福祉の足跡を辿り、未来へとつなげていく番組だ。それに関連して、私なりに戦後の福祉の歴史を捉え直してみたいと思う。
 私が生まれた1949年に、障がい者のための初めての法律、「身体障害者福祉法」が施行された。「青い芝の会」の会員は、仲間を探して一軒一軒尋ねていくと、その人の存在が隠されていたり、奥座敷の柱に結わかれたりしていたそうだ。そんな非人間的な扱い(=差別)に甘んじていいのか?と問い続ける人たちの力で、道は少しずつ拓かれてきた。そして声をあげると、それに耳を傾ける役人たちがいた。福祉は身体障がい者が先頭に立ち、知的・精神障がい者が後を追う形で、人々の力により切り拓かれてきたのだと思う。
 運動の手助けには、映画、文芸の力も大きいと感じた。これは動物愛護の歴史が児童文学に力を入れてきたのと似ている。1963年、中央公論に掲載された水上勉の「拝啓 池田総理大臣殿」では、重症心身障がい児者のための予算や施設の充実が訴えられた。これがきっかけとなり、国は重症児者のための施策を重点課題とし、福祉先進国に見習い、コロニーのような大規模施設を増やしていった。女優の宮城まり子さんの映画「ねむの木の歌が聞こえる」は大ヒットし、社会に障がい児について知らせた。NHK土曜ドラマ「男たちの旅路」は車椅子で外に出るための支援の必要性、ノーマライゼーションの考え方の普及に一役買い、ラジオ「人生読本」はノーマライゼーションで地域に出てきた障がい者を所得補償して支えることとつなげていった。1998年には乙武洋匡さんの「五体不満足」が大ブレイクし、社会の障がい者に対する認識が変わったように感じた。
 世界では、国際連合による1981年の「国際障害者年」決議、2006年の「障害者権利条約」の採択が福祉を大きく前進させた。国内では、2003年の「障害者支援費制度」で障がい者自らがサービスを自由に選択できるようになったが、財政目途が立たずに破綻。厚生労働省は義務的経費を悲願とし、2005年に本人負担1割を条件に「障害者自立支援法」を施行。しかしその負担に対し全国29人の障がい者による違憲訴訟が起こる。それは憲法25条の「国民的生活を営む権利」の侵害にあたるという主張だった。2010年に国と原告が基本合意に達し、障がい者の参画による自立支援法に代わる法律の策定に向かい、「障害者総合支援法」が施行された。現在この法律によって様々な制度が決められている。また「障害者権利条約」は「日本国憲法」の次に位置するため、署名から批准に向けて、国内のさまざまな法律の改正や制定が行われ、今年4月には「障害者差別解消法」が施行される。国は「障害者権利条約」のモットーである、“障がい者を抜きにして障がい者のことを決めない”国づくりへと向かっている。
 障がい者参画の会議の進行役を担った「日本障害フォーラム」の藤井克徳氏は、障がい者施策には、社会全体の在り方を見直す大事な問題が内包されている、これは超高齢化問題のリハーサルだ、と発言している。そして自分と違う他者をリスペクトできる関係が、この社会を面白くするのだとも。これは“違いを認め合う社会を求めて”がキャッチフレーズの「ナナの家」の考え方とも共通している。私たちも互いを認め合い、“みんな違って面白い”と思える社会を目指していきたい。



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