2016年1月

「ナナの家」の夢

 新春にあたって、「ナナの家」の原点とも言える、乗馬活動と将来の夢について触れてみたい。「ナナの家」の活動は、それぞれにきっかけがあり、思いが生まれ、そこに共鳴する大勢の方々の協力で継続されてきた。来年3月に70回目を迎える“多摩川乗馬会”は、「ナナの家」の副理事長の娘が大の生き物好きだったこと。それは近所のどぶ川に這いつくばって取ったおたまじゃくしに始まり、ざりがに、青ガエル、蚕、ハムスター、野鳥、猫、犬。捨て猫は拾ってくるし、犬は12匹も出産と子育てをした。それが高じて馬へ。そこに無痛無汗症という難病を持ち、知的と身体に障がいの生じた弟の存在。この二人が乗馬会とつながった。娘は中学生の頃に、ムツゴロウ王国に行き、障害者を乗せる馬と出会った。その時から車椅子でストレスの多い弟に乗馬をさせたいという思いが芽生えたようだ。
 私はまだ一人も同病者と出会えず、専門家も皆無な無痛無汗症の会の設立を目指して、友人が集めてくれた世界の文献を翻訳してくれる人を探していた。めぐりあった翻訳者グループが、イギリスのRDA(Riding for the Disabled Association)の1つのDiamond Centerのテキストの翻訳を依頼されていた。この偶然に驚き、早速イギリス観光局へ行ってみると、乗馬クラブのパンフレットが手に入った。そこにはアン王女を総裁とする障害者乗馬のセンターが国中に散在する地図が載っていて目を見張った。娘の祖母がスポンサーになると言うので、いくつかのセンターに1か月程娘を引き受けてくれないかとファックスする。その一方で、イギリスで娘の後ろ盾になってくれる人を探す。幸い難病の子の一家がロンドンに移住していて、快く引き受けてくれた。受け入れ先の乗馬クラブもWellington Ridingに決まった。娘はDiamond Centerにも案内され、難病や全盲の人が乗馬を楽しむ様子を目の当たりにして帰国し、将来の夢を模索し始めた。ちょうどその頃日本に障害者乗馬インストラクターの第一号が誕生し、私たちは日本の障害者乗馬の夜明けに遭遇したと感じた。
 オーストラリア、イギリスのRiding Centerを見学し、アメリカやドイツの乗馬療法の情報も得ていく中で、木更津にあるのぞみ牧場学園で行われたシンポジウムで、オーストラリアのNSWにあるケリーさんという障害者乗馬の指導者と出会った。「ナナの家」スタッフと、更にオーストラリアとニュージーランドの障害者乗馬を見学に行き、大学で馬術部に入った娘は、その後ケリーさんの指導で障害者乗馬インストラクターの資格を取得することになった。その後も「ナナの家」ではケリーさんのセンターへ障害者乗馬ツアーを行ったり、ケリーさんを迎えたりと交流を重ね、その成果が“多摩川乗馬会”の随所に生かされている。それらの様子は「馬のかけはし」のビデオにも収録されている。
 障がいに合わせた支援方法を考えれば、誰もが同じ楽しみを共有できる。これは乗馬だけには限らず、社会のどの場面にもあてはまる。後に取り組んだ軽トラを用いたマウンテンランプ(騎乗台)もその工夫の一つだ。多摩川には固定設備が置けないため、みんなで知恵を絞った。狛江市からの助成金や、会員からの寄付金もいただいた。これにより、障がい者ばかりか、小さな子どもも恐怖心無く地面から馬の背中にスムーズに移動できるようになった。ボランティアも腰を痛めなくなった。
 今後の夢は、この都会で馬と一緒の活動を行うこと。乗馬、馬の世話、馬糞を用いた農業と食、アートなど、馬を媒体として行えることは沢山ある。ニュージーランドには乗馬から生まれた養護学校があり、イギリスには馬を通して国語や算数を教える養護学校があった。私たちは馬と一緒の放課後デイや就労支援が夢だ。数日後に開催されるEPOの研修会もきっとヒントになることだろう。日本では夢は消えゆくものではなく、いつか叶えるもの。そのためには無いから創る姿勢と、大勢の知恵と支援が必要だ。この「ナナの家」の壮大とも言える夢は、いったいどんな風に形になっていくのだろうか?



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